知識は荷物にならない

高校時代の世界史を担当していた先生の言葉。


レポートで提出したノートの最後にメッセージが記されており、そのなかにこの言葉があった。


当時は特段なんとも思わなかったように思うが、今でも記憶にあるということは、自分の中で何か感じるものがあったのかもしれない。でなければこうしてブログに書くこともなかったし、この言葉を思い出しては、もっと読書をすべきだったなと少し後悔するくらいだから。


本当にこの通りで、知識がありすぎて困ることってそうないと思う。頭でっかちな奴になったり、先入観ばかりが先行してしまう可能性もあるが、それは単純に蓄積した知識を自分で活かしきれてないだけのように思う。物はなくしたり処分しない限り手元に残り、そのうち「荷物」になってしまうこともあるが、知識は知識として残り、この先の人生で自分を助けてくれることもあるかもしれない。やはり、ものを知ってて損はない。


この言葉が頭の片隅にあったおかげで、社会人になってからも年に数冊ではあるが読書をし続けてこられた。


でも、今自分が思うに、この言葉を通して当時の先生が一番伝えたかったことは、”どんな学問も無駄ではない”ということだと思う。世界史なんて普通に社会で生活するで問われることなんてまずない。全く知らなくても極論、生きていける。


得た知識が、雑学・トリビア的に人に説明できることもあるかもしれないし、博学を披露(ひけらかすわけじゃなく)出来る場面もあるかもしない。また時に、自分自身を救ってくれる一助になる可能性もゼロではない。


一時の勉強としてではなく、この先の長い人生で少しでも身になって欲しい。


もしかして先生は、自分の授業を通してそんな願いを込めてこの言葉を残してくれたのかもしれない。